プロフィール
こんにちは、いとまさです^^
当ウェブサイトへの訪問、そして、僕のプロフィールに興味を持っていただき、ありがとうございます。
僕の印象は、あなたが僕を見つけた場所(各種SNS)によって変わると思いますが、
この[プロフィールページ]で書いてることが、僕の全てです。
▷いとまさの出没する各種SNSは、コチラ>>
さて、TOPページでは、僕が元自衛隊のパイロットであるということに加えて、
- フィジークの大会で優勝
- 英語力0からTOEIC870点 & IELTS6.5へ(2023年時)
- FP2級を取得
- 投資/お金についての正しい知識を学び、将来のお金の不安が無くなる
- ブログの収益化達成(不労所得)
- 自分のビジネスでお金を稼ぐ経験を積む
- 運用するSNSのフォロワー合計10,000人達成
- 海外移住(オーストラリア)
- 外国人の彼女ができる
- 未経験からバリスタの仕事をGET
- 海外でバリスタとして働きながら、自分のビジネスを運営
・・などと書いてますが、これらの詳細やここまでの過程など、色々と気になるところがあると思います。
なので、このプロフィールページで、当ウェブサイトの管理人“いとまさ”について、
- 現在
- 過去(これまでの経歴など)
- 未来(これからの計画)
の順で、詳しく紹介していきます。
めっちゃ長いので覚悟して読んでください。(特に過去編)
では、早速いきましょう^^
・当ウェブサイトの管理人”いとまさ”のプロフィール
・これまでの経歴や達成してきたこと
・これからの計画
「いとまさ」とは・・(現在)

いとまさ(英語表記:Itomasa)は、哺乳綱サル目ヒト科ヒト属に分類される、1994年生まれの31歳。
正式名称は、伊藤雅己(英:Ito Masaki)であり、ここからその単純なネーミングセンスが伺える。
宗教は筋トレ教。【筋トレは全てを解決する】
日本語と英語の2ヶ国語を話すことができるが、英語ではたまに「アウッ」となる。
自身の身長を聞かれた際には、実際は168cmであるにも関わらず、迷うことなく「170」と答える小さな器を持つ。
女の子大好き。
女の子、ほんっっと〜に大好き。
・・・はい。
というわけで、1994年12月11日生まれ、31歳の男です。(上のやつ、あんまりウケなかった?)
今はオーストラリアに住んでいますが、出身地は宮崎県延岡市。純日本産。
血液型はO型で、趣味は読書、筋トレ、映画鑑賞、たまにお笑い(M1だけは毎年必ず観ます!)。
特技・自慢できることはいっぱいありますが、1つに絞るとしたら「ベラベラ喋ること」ですね。笑
*ーーーーー
元々は海上自衛隊でパイロットとして働いていましたが、2021年6月、26歳の時に退職。
その後は、3年間ほど貯金を取り崩しながらの無職生活を送り、
この期間の殆ど全ての時間を【英語学習】【筋トレ】【お金の勉強】【読書】【ビジネス】に費やして、自己研鑽に励みました。
この期間で、自分でビジネスを立ち上げたり、フィジークの大会で優勝したり、フィリピンに留学したり・・と、色々なことを経験して大きく成長。
この無職生活の間に身につけたスキルを持って、2024年6月にオーストラリアに渡りました・・。
*ーーーーー
*このあたりの詳細については後述します(過去編)。
そして、現在。
私いとまさは、引き続きオーストラリアに滞在しており、バリスタとウェイターの2つの仕事を掛け持ちして働いています。

バリスタとして働いているカフェも、ウェイターとして働いているレストランも、どちらも非常に良い職場です。
長い通勤時間も残業もありません。(職場は家から徒歩10分!)
それでいて、時給が日本の3倍くらい(時給3300円)なので、生活するのに十分すぎるお金を稼ぎながら、自分のやりたいことをする時間も確保できます。
その上、お客さんや同僚と話すことも多いので、自分の必要とするスキル(英語)も磨くことができます。
・・と、まぁ、こんな感じの、僕が今いる環境を端的にまとめると、
最低限の仕事時間で十分すぎるお金が貰えて、自分が必要とするスキルを磨きながら、自分の時間でやりたいことにも取り組める
という、最高の環境なわけです。
周りの人達(同僚やお客さん)も最高だしね。
上記のような最高の環境で、”自分の時間”を確保しつつ働いているわけですが、仕事以外のこの”自分の時間”では何をしているのか?
それは、自分のビジネス(当ウェブサイトの運営)です。
この後の【今に至るまでの経歴(過去)】でお伝えする”筋トレや英語などで人生が変わった自らの経験”を活かして、当ウェブサイトを運営していますが、
仕事以外の時間は殆ど全て、このウェブサイト運営やSNS運用など、自分のビジネスに取り組んでいます。
なので、基本的には、仕事とビジネスが日々の生活の全て*です。
*日々のルーティンとしての筋トレ&読書(英語学習)を除く
・・とは言いつつも、たまにはオフの日を設定して、カフェに行ったり、ビーチに行ったり、たまに女の子とデートしたりしてます。

このように、僕は今、“最高の環境で好きな人達と楽しい仕事をしつつ、同時に、更なる人生の向上を目指して、自分のビジネスにも取り組む”といった日々を送っています。
オーストラリアにいる割には退屈そうな生活に見えるかもしれませんが、今のこの生活は自分史上最高に充実しており、1日1日を楽しんで生きています。
・・以上が、僕「いとまさ」の現在です^^
今に至るまでの経歴(過去)

2026年1月現在の僕の生活は、上記のとおりです。
ここからは、今に至るまでの過程をお話ししましょう。
父が他界し、保険金も騙し取られた幼少期

まずは、幼少期から。
僕の地元は、宮崎県延岡市という小さな田舎まちです。
そんな田舎で、家族5人(両親、兄、妹)で仲良く幸せに暮らしていた伊藤少年ですが、突如不幸な出来事に見舞われます。
小学校2年生の時に、父が交通事故で他界したのです。
父を事故で亡くしたこと自体、子供の僕にはショッキングな出来事でしたが、それだけでは終わりません。
父が遺してくれた保険金で何とか家族4人で生きていこうとしたそんな矢先、その保険金も全て騙し取られてしまったのです。
なんと、その額7900万円!!
当時の僕は、7900万というお金がどれくらいの額かはっきりとは理解していなかったですが、子供ながらに、
「これは大変なことが起こったぞ・・。」
「これからは毎食もやしだけか!?」
と、大きな不安に襲われたことは覚えています。
実際、父親という一家の大黒柱を失って、さらに、その保険金も騙し取られるなんて、結構ハードな出来事ですよね。
特に8歳の少年にとっては。
しかしながら、母の頑張り(当時は全く気付かなかった)と社会保障制度(これまた最近まで全然知らなかった)、そして、兄妹や友達をはじめとする周りの人たちのおかげで、
このような不幸な出来事があったにも関わらず、何も不自由のない幸せな幼少期を過ごすことができました。
実際、当時を振り返っても、大変だったことも思い出せますが、それ以上に、家族や友達と笑っている思い出の方が多いです。
当時の友達、そして母には感謝してもしきれません。
・・父は他界して保険金も騙し取られましたが、総括して、楽しかった幼少期でした。
これはやっぱり、家族や友達のおかげで、“失ったものより残されたものに目を向けることができた”からだと思います。
今になって考えてみると、この幼少期の出来事も今の自分の考え方や価値観に大きな影響を与えてくれたなと、しみじみ思います。
中学卒業と同時に地元を離れ、自衛隊の高校へ

小学生・中学生と、地元の延岡市で何不自由なく幸せに暮らしていた伊藤少年(僕)は、中学校を卒業するのと同時に地元を離れることになりました。
なぜなら、僕が進学した高校は【陸上自衛隊高等工科学校】という、神奈川県にある”将来の自衛隊を養成するための全寮制の学校”だったからです。
なので、若干15歳にして、親元を離れて、自衛官としてのキャリアを歩み始めました。
しばしば、
何でそんな自衛隊の高校に行ったの?
昔から自衛隊になりたかったの??
と聞かれるのですが、自衛隊に興味や思い入れがあったわけではなく、来たるべく高校入試に向けた力試しとして、軽い気持ちで試験を受けただけでした。
しかし、合格したことで周りにチヤホヤされて有頂天になり、よく調べもせずに入学を決めてしまったのです。笑
入学当日まで男子校とも知らなかったよ。(後悔)
このような経緯で、軽い気持ちで踏み入れた自衛隊の世界ですが、陸上自衛隊高等工科学校では多くの経験をさせてもらいました。
16歳で初めて銃を撃ちました。
富士山にテントを張り、2週間、山に籠って訓練もしました。
訓練で催涙ガスを吸い、涙と鼻水が止まらなくなったこともあります。
・・全部キツかったですが、どれも貴重な経験であり、大切な思い出です。

同じ時間を過ごした同期(”同級生”ではなく”同期”と呼ぶ)なら、皆んな同じことを言うと思いますが、
「キツかったけど、この陸上自衛隊高等工科学校で良かった!」
と思える学校であり、また、その1番の理由は一生の仲間に会えたことですね。
そんなこんなでキツくも楽しい3年間を過ごして、高校卒業の時が来ました。
高校卒業後、海上自衛隊のパイロットの道へ

陸上自衛隊高等工科学校を卒業後の進路として一般的なのは、そのまま陸上自衛官として勤務を開始することです。
しかし、その他にもいくつかの進路があります。
高校卒業後の進路
・そのまま陸上自衛隊の隊員になる(大多数)
・防衛大学校に進学する(2%くらい)
・航空自衛隊、または、海上自衛隊のパイロット養成コースに進む(3%くらい)
・自衛隊から離れて一般人になる(10%くらい)
自衛隊という組織の中で上を目指す人にとっては、「防衛大学校への進学」か「パイロット養成コースに進む」ことが選択肢としてありますが、
防衛大学校に進学するにも、パイロット養成コースに進むにも、試験に合格しなければなりません。
どちらとも最初は全く興味は無かったのですが、パイロットの給料を知り、パイロットコースを目指して勉強を始めました。笑
そんな不純な気持ちでもなんとか試験には受かり、高校卒業後は、海上自衛隊のパイロット養成コース*に進みました。*海上自衛隊航空学生
このパイロット養成コースでは、実際の任務に就くまでには約5年間の訓練が必要で、
この5年の訓練期間を通して山口県→徳島県→千葉県の順で基地を移り、各地で別の機種の飛行機に乗って技量を向上させました。

出典:海上自衛隊HP
当時の同期の多くは飛行機が好きな人達で、彼らは楽しんで訓練に臨んでいました。
一方僕は、前述のとおり、パイロットになる道を選んだ理由が”給料が高いから”であり、飛行機自体には全く興味が無かっため、勉強も訓練も全く楽しめませんでした。
なので、この5年の訓練期間は、”週末と定期的な長期休暇だけを楽しみに平日を消化する”というようなの生活を送っていました。
こんな状態なので成績も悪く、いつも下の上くらい。
この訓練期間に、「好きこそ物の上手なれ」って言葉が真理であることを強く感じたのを覚えています。
今現在、“好きなことを仕事にする重要性”を強く感じて、自分のビジネスに取り組んでいるのも、このような経験があるからこそですね。
上記のようなマインドで訓練に臨んでいたため、かな〜り長く感じた5年間でした。
パイロットとして本格的に仕事を開始するも、現実はラットレース

さて、中の下の成績を突き通した5年の訓練期間も終わり、2017年11月、青森県の部隊へと転属が決まりました。
相変わらず飛行機や任務には興味が無かったため、仕事自体は楽しくなかったですが、
先輩や上司も良い人ばかりで、20代前半にしては十分すぎる額の給料も貰えて・・と、居心地の良い職場ではありました。
基本的に休日は確保されていたので、訓練期間と同様に、部隊でも“休みだけを楽しみに平日を消化する毎日”を送っていました。

だから、部隊での思い出は、遊び(というか飲み)ばっかりなんです・・。
こんな感じで、仕事にはやる気も愛着もありませんでしたが、最低限のことはやっていたので、予定どおり昇進して幹部になりました。
これが青森で勤務し始めて約1年半後の、2019年4月のことです。

タイ海軍幹部の方との写真。俺の方が黒い!
幹部任官後も勤務地は変わらず、青森。
そして、生活スタイルも、幹部になったからといって変わることはありませんでした。
将来のことなど少しも考えずに、週末だけに命をかけた生活。
平日はただただ週末を楽しみに仕事に耐え、そこで溜まったストレスを週末で発散して、また平日が来て・・の繰り返しでした。
給料は高かったですが、週末に全ての給料を注ぎ込んでいたので、貯金も全く無かったです。
当時の過去の生活を振り返ると、”一歩も前に進まないその日暮らしのラットレース“そのものだったと思います。


まさに、この写真のような生活を送っていました。
「もし今でもこんな生活を続けていたら・・」と思うと、ゾッとしますね・・。
こんな生活が1年程度続いた頃、海外任務でアフリカに派遣されることになるのですが、そこで僕の人生は大きく変わります。
コロナ禍での海外派遣、退職を決意

僕がアフリカに派遣されたのは、2020年6月、コロナ禍の真っ只中でした。
この時、世の中のルールや常識の全てがコロナ対策によって変化しており、自衛隊の規則も同じように大きく変わってました。
そのうちの1つが、”アフリカ滞在時の外出”についての規則です。
コロナ禍以前は、アフリカに滞在している隊員は戦力回復(リフレッシュ)のため、基地からの外出を一定の条件のもと認められてました。
しかし、僕がアフリカに行った時には、基地からの外出がほぼ全て禁止とされていたのです。

最低限の施設以外何も無い簡易基地
仕事自体は好きでなく、休日(=遊び)のためだけに働いていた僕にとって、この“外出禁止“という事実は、とても、とても、、、
とっっっっっっっっっっっっっっても大きな問題
でした。
僕はアフリカでの外出を人一倍楽しみにしていたのです。
このようにコロナによって外出が禁止されたため、隊員の娯楽やストレス発散の場は、ジムや図書室などの基地内の施設だけに限られていました。
つまり、当時の僕に残された仕事以外の過ごし方は、
① 読書をする
② 筋トレをする
③ 仕事に必要な勉強をする(=+αの仕事をする)
の3つだけだったのですが、
僕は迷うことなく読書と筋トレをすることを選び、また、この時に、昔から興味のあった英語学習にも取り組み始めました。

筋トレを始めた頃のわがままボディ
僕が読書・筋トレ・英語学習に励む毎日を楽しんでいた一方で、同行していた先輩達は仕事に必要な勉強(=+αの仕事)を頑張っていました。
また、その先輩達は、僕にも同じように+αの仕事をするよう促しましたが、
給料も変わらないのに、人より多く仕事をする意味なくね?
という考えを持っていたので、先輩達の言うことを無視して、引き続き、読書・筋トレ・英語学習に取り組み、
そして、その当然の結果として、先輩達との仲は悪くなり、より一人で過ごすことが多くなっていきました。
しかし、この先輩達との不仲が、より一層、読書や筋トレに費やす時間の増大に繋がり、一人で考える時間も多くなって、
自分と向き合い
本で多くの知識を吸収して
その知識を自分ごととして理解する
というサイクルが出来上がっていたのです。

この時期に読んだ書籍のほんの一部(お金に関するものが多い・・笑)
上記のサイクルを通して自分の中に変化が起こり、色んな考え方や物の見方ができるようになりました。
特に、今までこれといった不満は無かった仕事に対して、
お金も休みも多くあって恵まれていると思ってたけど、好きじゃなかったら結局人生の切り売りだよなぁ。
と、考え方が変わったのが、この時です。
また、アフリカの貧困を目の当たりにしたことも、僕の価値観や考え方に大きな変化を与えてくれました。
現地の貧困を肌で感じたことで、
日本に生まれただけで、多くのチャンスを与えられているんだ!
無難に生きて、このチャンスを無駄にしていいのだろうか?
と、日本に生まれたことをとても大きなチャンスとして捉え、「リスクを取って挑戦すべきでは?」と考えるようになったのです。
・・このように、大量の読書のよる考え方の変化、そして、アフリカの貧困を目の当たりにしたことにより、
「たった一度の人生、好きなことだけして生きていくべきだ!」
という結論に至った僕は、2020年9月、アフリカの地で一人、「仕事を辞めて自分の好きなことで稼いで生きていく」と決意したのでした。
準備を整え、自衛隊退職

「仕事を辞めて自分の好きなことで稼いで生きていく」という覚悟と共にアフリカから帰国。
そこから数ヶ月の月日が経ち、辞職表を提出したのが、2021年の1月です。
辞表提出後は、複数回の上司との面談、それに伴う引き留めもありましたが、無事、6月末に退職することが決まりました。
退職に伴い、未消化の有休を取ることを認められ、結果として、退職までの約半年間は、退職後の生活の準備や必要な勉強に費やせることになりました。
半年間の準備期間があるとは言え、”自衛隊を辞めて一般社会人になる“というのは、とても怖いことでした。
なぜなら、15歳から自衛隊しか知らない僕からしたらシャバは未知の世界であり、そこに飛び込むのは異世界に旅立つような感覚だったからです。
この恐怖の旅立ちに備え、まずは、飲みや遊びにお金を使うのをやめて、給料の大半を貯金に回すようにしました。
あと、できるだけ多くのお金を持って辞めれるよう、時計などの金目の物も全て売り払いました。
加えて、知識不足から来る不安を解消するため、必死で外の世界で必要となるであろう知識をかき集めました。
年金や税金から始まり、社会保険、雇用保険、お金の稼ぎ方、投資、社会情勢、個人事業の制度、マーケティング、ITなど・・。
次から次に疑問が湧いてきて、その疑問を調べてるうちに、また別の疑問が湧いてきて・・と、この半年間は終わりのない勉強の毎日でした。

この時に、いかに自分が世間知らずで情弱だったかを思い知りました・・。
この時の勉強で、幼少期の僕(伊藤家)が社会保障で救われていたことも知りました。
このように、約半年間、基本的には飲みや遊びといった娯楽にはお金を使わずに貯金し、朝から晩まで死に物狂いで勉強したわけです。
ぶっちゃけ、この期間はとても大変でしたが、この時期のおかげで多くの知識が身につき、特にお金については非常に強くなることができました。
・・という感じで、お金と知識、半年間でできる限りの準備を整えて、2021年6月30日、10年間の自衛隊生活に別れを告げたのでした。
退職後は”自分の好きなこと”に取り組み、自分を磨く(無職生活)

自衛隊を退職した後は、地元の延岡市に戻って、実家で暮らし始めました。
ここから約3年間におよぶ(2021年7月〜2024年6月)無職生活の始まりです。
この無職期間は、”自分の好きなことで稼いで生きていくために必要なスキルを身につける修行の期間“として考え、
自衛隊時代の貯金を取り崩しながらの節約生活を送りつつ、ほぼ全ての時間を【英語学習】【筋トレ】【お金の勉強】【読書】【ビジネス】に費やしました。
【英語学習】では、1日1回30分のオンライン英会話を含め、毎日3時間ほど英語を勉強し、また、2023年4月〜9月にかけて、フィリピン留学にも行きました。
【筋トレ】に関しては、週6でジムに通って2時間のトレーニング行い、フィジークの大会のために食事も厳しく制限しました。
【お金の勉強】として行ったことは色々ありますが、メインで取り組んだことは、投資の勉強とFP2級の資格取得です。
【読書】については、毎日読書のための時間を確保して、年間50冊程度、3年で150冊以上の本を読みました。
【ビジネス】の面では、人生で初めて起業したり、それにともなってHPを作ったり、SNS運用に挑戦したり・・、試行錯誤を繰り返しながら、本当に色々やりました。
これらのことをメインに、自己投資/自己研鑽として多くのことに取り組んだ3年間の無職期間でした。
当時、どのような生活を送っていたかは、この記事に書いてます。
さて、明るい展望&燃えるようなモチベーションを持って始まった無職生活でしたが、実際には、思ったとおりにいかないことばかりでした。
英語力は伸び悩み(スランプ)、初めて参加したフィジークの大会では予選敗退、初めて起業した事業は1円も稼げず廃業、など・・、
ここで多くの挫折を味わいました。
しかし、当時の僕の頭に「諦める」という考えはありません。
失敗にめげることなく、頑張って頑張って×100・・、ひたすら頑張り続けます。笑
その結果は徐々に現れ、最終的には、以下のことをはじめ、多くのことを達成することができ、人生は大きく変わったのです。
- フィジークの大会で優勝
- 英語力0からTOEIC870点 & IELTS6.5へ(2023年時)
- FP2級取得
- 投資/お金についての正しい知識を学び、将来のお金の不安が無くなる
- メンタル心理カウンセラー資格習得
- ブログの収益化達成(不労所得)
- 自分でビジネスを立ち上げてお金を稼ぐ経験を積む
- 運用するSNSのフォロワー合計10,000人達成
- 外国人の彼女ができる



この無職期間の出来事は、【ここまでの軌跡】のページで時系列で見れます。
・・以上のように、この3年間の無職期間で、多くの失敗と成功を経験して、大きく成長することができたのです。
この時期の”自分と向き合い色々考えながら(=【マインド】)【英語学習】【筋トレ】【読書】【お金の勉強】に取り組んで人生が変わった”という経験、
この僕自身の経験が、当ウェブサイトのコンセプトとなっています。
人生を変えるパワフルな5分野
【英語】【筋トレ】【お金】【読書】【マインド】
強くなった自分でオーストラリアに渡り、現在に至る

自己研鑽の無職生活を始めてから約3年の時が経った、2024年5月。
前項で書いたとおり、修行の無職期間で失敗も成功も含め多くのことを経験して、大きく成長することができていましたが、まだまだ、
「自分の好きなこと(=自分のビジネス)で稼いで生きていく」
という、自分の目標には届いていない状態です。
しかし、この時すでに、無職生活のために用意した生活費は底をつこうとしていました。
この貯金が尽きるタイミングは、無職生活開始時にすでに計算しており、予想していたとおりでしたが。
これ以降の選択肢としては、いくつかの案をすでに考えていました。
英語や筋トレ、金融知識など、[無職期間で培ったスキルを活かせる仕事に就職する]ことも考えとしてありましたし、
[投資に回していたお金を崩して、さらに無職期間を延長する]というのも、選択肢の1つでした。
色々な選択肢を天秤にかけて考えましたが、最終的に、無職生活開始時から頭にあった、
[海外(オーストラリア)で働きながら、引き続き自分のビジネスに取り組む]
という選択肢が1番メリットが大きい、という結論に至ります。
オーストラリアでは、英語力をさらに磨くことができ、新しい経験もできて、時給が高い分ビジネスのための時間をより多く確保できます。
また、この時には、”全てのサービスをオンラインで提供する”という経験もあったので、日本を離れることのデメリットもほぼありません。
つまり、オーストラリアは、”働きながら自分のビジネスを継続する”という点で、メリットが非常に大きい場所だったのです。
このようにして、[オーストラリアで働きながら、引き続き自分のビジネスに取り組む]という決断に至った僕は、
2024年6月5日、前述の無職期間で多くのスキルを身につけて強くなった状態で、オーストラリア(西部の都市Perth)に渡りました。

この”海外で働きながら自分のビジネスに取り組む”という道も、無職期間に磨いた英語力があるからこそ選べる選択肢ですね。
このように、英語が話せることで、人生の選択肢は大きく広がります。
最初の拠点地Perthで、苦労の連続を乗り越えて、また成長
修行の無職期間を通して大きく成長してはいましたが、それでも、オーストラリア(Perth)に到着してからは多くの苦労を経験しました。
まず前提として、オーストラリアという国は、より良い環境を求めてきた移民で溢れているのですが、
そんな状態の中で、かつ、自衛隊以外の経験/スキルが無い僕の仕事探しは、想像以上に大変でした。
結果として、仕事が見つかるまでに120枚以上のレジュメを配ることになります。
合わせて、家探しについても非常に難航しました。
前述のとおり、物件の数に対して人(特に移民)の数が圧倒的に多いのです。
このように難航する仕事探し&家探し、そして、どんどん減っていく貯金に精神的プレッシャーを感じながらも、空き時間には自分のビジネスにも取り組みます。
このような生活でストレスが溜まっていったのでしょう、最終的にはOCD(脅迫性障害)まで発症したり・・と、
ほんっっっっっっっと〜に大変な毎日でした。
しかしながら、これらの苦労は全て、最終的には乗り越えることができました。
これも全て、3年間の無職期間で培ったスキル(主に英語力やビジネススキル、マインド)のおかげです。
無職期間で学んだビジネスの知識を活かして、仕事探しを営業と考えて、レジュメをより魅力的になるよう推敲し、封筒に入れて手渡ししたり、
経験・スキルが無い分、英語力を駆使して言葉巧みにトライアルの交渉をしたり、
OCDをはじめ全ての困難に対して、「全ては俺の成長のためにある」というマインドで、前向きに立ち向かったり・・と、
無職期間で培ったスキルが、上記の困難を乗り切る武器になりました。
実際、これらのスキル・マインドが無ければ、途中で諦めるという結果になっていたでしょう・・。


当時は、自分を奮い立たせるために、よくこの2枚の絵を思い出してましたね。
このように、苦労の連続ではあったものの、無職期間で培ったスキル&マインドでそれらを乗り越えることができ、
最終的には、仕事も家も自分の求めていたものを見つけることができました。
特に仕事に関しては、未経験にも関わらずバーテンダーやバリスタの仕事を手に入れることができ、ここPerthで、さらに新しいスキルを身につけることができたのでした。

未経験なのに、毎日超〜忙しいカフェで働きました。この経験は今も活きてます。
新点地Darwinで、己の成長を実感
非常に多くの苦労や困難がありながらも全てを成長に変え、Perthで充実した生活を送りながら約5ヶ月の時が経った、2024年11月1日。
このタイミングで、PerthからDarwin(オーストラリアの北に位置する小さなリゾート都市)に移動しました。
この移動に伴って、再度、仕事&家を探すことになります。
はじめに滞在していたPerthでは、仕事と家を見つけるのに苦労して(特に仕事)、結局、生活を安定させるまでに2ヶ月近くかかりました。
しかし、Darwinでは、3週間ほどで仕事も家も見つけることができました。
仕事は2つ掛け持ちすることになり、カフェでバリスタ&レストランでウェイターですが、どちらも非常に良い職場。
家についても、家賃、立地、シェアメイト・・、全ての条件で”言うこと無し”のアパートを見つけることができました。
このように、新天地Darwinでは、Perthでの学びや経験を活かすことで、半分以下の期間で生活を安定させることができたのです。

この時に、”Perthでの苦労&経験を通して成長していた“ことを改めて認識できたのは、とても嬉しかったですね〜。
2024年11月にDarwinに移り、12月までには仕事も家も見つかって、そこからは比較的安定した日々を過ごしていきます。
しかし、この時に、前述したOCD(脅迫性障害)が悪化し、計画していたようにビジネスに取り組むことはできませんでした。
ここからしばらく、OCDを克服するために曝露療法という治療を行いつつ、バリスタ&ウェイターとして働きながらスキルを磨く日々が続きます。
この過程で、新しいマインドを身につけたり、カフェのアシスタントマネージャーになったり、可愛い女の子達とデートしたりと、
色々と経験して、また成長することができました・・。

Darwinでの安定した生活を維持しつつ、OCDを乗り越え、今に至る
私生活ではOCDの治療を行い、仕事ではバリスタ&ウェイターとしてのスキルを磨き、そんな生活を続けて約1年が経った、2025年10月。
この頃にOCDは克服。
完璧に症状が無くなったわけではないですが、症状に負けない強さを手に入れて、問題なく日々の生活を送れるようになりました。
このOCDを克服する過程は、控えめに言って地獄でしたね。
ただ、この地獄を経験したおかげで、1回りも2回りも成長することができ、精神的に最強になることができました。
そのため、今では、OCDを患ったことに感謝すらしています。
OCDについてを書くと、それだけで何記事にもなるボリュームなので、これはまた別の機会に。
プライベートでOCDを克服して史上最強の自分になった時期、仕事の方でも大きく成長していました。
毎回のシフトに「何か1つでも学ぼう」というマインドで臨んでいたこともあり、この時期には、素早く、かつ、効率的に仕事をこなすことができるようになっており、
その結果として、カフェではアシスタントマネージャーになることができ、レストランからもマネージャーポジションをオファーされるまでになっていたのです。
これに伴い、自分の希望するシフトを優先してもらうこともでき、更に安定した生活リズムを構築できました。
・・このようにして、プライベートの面でも仕事の面でも落ち着いた生活を手に入れた、2025年10月。(オーストラリアに来てから1年と4ヶ月後)
ここからやっと、“海外で仕事をしながら自分のビジネスを並行して取り組む”という渡航前に計画していた生活を開始することができ、
2026年4月現在も、引き続きDarwinを拠点として、【(現在)】の項目で書いたような、充実した日々を送っています。

これからの計画(未来)

さて、ここまで書いてきたように、
アフリカの地で一人「自分の力で人生を変える」と決意してから、自分自身と周りの環境は大きく変わり、そいて、僕の人生も大きく変わりました。
自分を磨くと決めて、自分の好きなことに本気で取り組んだ無職期間で、本当に多くのことを経験して成長することができ、
この時に身につけたスキルのおかげで、オーストラリアでの困難を乗り越えて、さらに能力を向上させることにも繋がり、
そして今では、オーストラリアで楽しく仕事をしながら、自分のビジネスも並行して運営して、自分史上最高に充実した日々を送ることができています。
自衛隊で人生の切り売りをして生きていた時代を振り返ると、明らかに、僕の人生は大きく向上しました。
ただ!!
今、僕がオーストラリアにいて、このような生活を送っているそもそもの理由は、
“自分の好きなこと(=自分のビジネス)だけで生きていく”
という目標を達成するためです。
そして、この目標はまだ達成できていません。
なので、これからの計画(未来)は、
自分のビジネス【いとまさの人生向上委員会】だけで、生きていくのに十分な収入を得る
であり、これを目標として、今の”オーストラリアで働きながら、引き続き自分のビジネスに取り組む生活”を継続していきます。
今のオーストラリアでの生活は本当に充実していますが、この生活はゴールではなく、当面の目標達成までの過程に過ぎません。
とは言いつつも、そんな”今”が、これまでの人生で1番楽しく充実しているのも事実であり、
また、この”今”を自らの力で手に入れた自分自身を誇りにも思っています。
もちろん、ここまでの過程は決して簡単なものではなく、【今に至るまでの経歴(過去)】では書いていない苦労もいっぱいです。
しかし、「その苦労も犠牲も全て、代償として支払う価値があった」と自信を持って言えます。
このような自身の経験があるからこそ、僕は「人生は自分の力で変えられる」&「そのための努力にはそれに見合う価値がある」と信じています。
また、人生を変える具体的な方法として、
【英語】【筋トレ】【お金】【読書】【マインド】
の5つが最強だとも。
僕の人生がこれらで大きく変わったからです。

自衛隊の頃は想像すらできなかった充実した毎日を生きてます。
・・少し脱線しましたが、まとめると、
- 今は自分史上最高の日々を送っているが、ここはまだゴールまでの過程にすぎない
- 当面の目標は「【いとまさの人生向上委員会】だけで、生きていくのに十分な収入を得る
- 目標を達成するために、オーストラリアで働きながらビジネスを継続していく
- 「人生は自分の力で変えられる」&「そのための努力にはそれに見合う価値がある」
- 上記の2つの信念を当ブログで発信していく
って感じです。
当面の「自分のビジネス【いとまさの人生向上委員会】だけで、生きていくのに十分な収入を得る」という当面の目標を達成した後は、
ビジネスを発展させてモチベーションナルスピーカー(≒講演家)みたいなことをしてみたり、
どこか物価の安いところに移住してのんびり暮らすかもしれないし、
チャリティービジネスを立ち上げたり、
など、色々とワクワクすることはアイデアとしてはありますが・・、基本的には未定です。
とりあえず今は、直近の目標だけに集中して、頑張りながらも日々の生活を楽しんでいきます!
まとめ
・現在:いとまさは、オーストラリアで働きつつ、自分のビジネスも運営しているイケてるマッチョ。
・過去:自衛隊を辞めて、英語や筋トレ、ビジネスなどに取り組み、色々な苦労を経験して、人生が大きく変わった。
・未来:当面の目標「【いとまさの人生向上委員会】だけで、生きていくのに十分な収入を得る」の達成に向け、オーストラリアでビジネスを継続。その後は未定。
はい。というわけで、”いとまさ”って、こんな感じの人間です。
めっちゃ長いのに、最後まで読んでくれてありがとうございました(;∀; )
この長い自己紹介の中で色々と書きましたが、最も伝えたいことは、
自分の力で人生は変えられる!
ってことです。
実際に、僕の人生は自らの努力で大きく変わりました。
これからも、まだまだ向上し続けていきます。
もし、今これを読んでくれているあなたが「自分も人生を変えたい!」と思うのであれば、一緒に頑張りましょう。
当サイト【いとまさの人生向上委員会】は、そんなあなたの役に立つと思いますし、僕も全力で応援します!
・・では、最後になりますが、これからも僕いとまさと、当サイト【いとまさの人生向上委員会】をよろしくお願いします!!
【いとまさの人生向上委員会】では相談業務もやってます。(日曜のみ)
もっと詳しく僕の話を聞きたい人や、逆に僕に話を聞いてもらいたい人は、ぜひご利用ください^^






ちなみに、アフリカでの勤務期間に休日はありません。
毎日が勤務日で、17時〜22時までが自由な時間です。